最近、糸島の地元社会に大きな変化が起こっているようでして、それは外国人居住者の急増です。
昨年(2024年)末時点の統計によれば、糸島市内の外国人居住者は、2,029人ということで、絶対数でみると大したことない印象かもしれませんが、デルタ つまり変化率を見てみると、外国人居住者の増加率は福岡県内一の数値だそうです。
ちなみに、日本全体での在留外国人の数は、年々増加しており、現在は約360万人とのことですが、個人的には、これから先の日本が節度をもって緩やかに、外国人居住者の受入れを広げ多文化共生社会に移行していくことは、基本的に悪いことではないと思っています。がしかし、やはり外国人居住者が増えると、文化的摩擦や社会的緊張など、色々課題が生じてくる面も否めません。
おそらく現時点で日本が直面している在留外国人を巡る課題としては、主に次の4つではないかと思います。
まず1つ目は何といっても、360万人の在留外国人数のほとんどを占める短期ビザで入国した観光客、ズバリ、インバウンドのオーバーツーリズム。
そして、360万人のリーガルエイリアン(legal alien)に対しその外数として存在する
推定7万人超に及ぶイリーガルエイリアン(illegal alien)、つまり、不法在留外国人への対処。
それから、外資、特に中国系の資本による不動産の買漁り。
そして最後に4つ目は、少子高齢化による労働人口減少を埋め合わせるように、年々受け入れが増加しているアジアからの就労者。
これら4つがあげられると思います。
これらの4つのうち、今、糸島市民の立場から自分が最も身近に感じるテーマを一つ選ぶとすると、それは、4番目の「アジアからの就労者の急増」になるかと思います。
糸島で急増している外国人居住者の国籍の内訳を見てみると、一位がベトナム人となっており、次いで中国、ネパール、インドネシアの順に続いているそうですが、職業など社会的属性についての詳細は、手元にデータがないのでわからないものの、出身国籍だけから読み解くとすると、いわゆる「技能実習生」などの資格で短期就労目的で来日している外国人が、けっこうな数を占めるのではないかと推察します。
実際、自宅の近所では、作業用のユニホームを着た若いアジア人の男女のグループが、雨の日も風の日も連れ立って自転車で走っている姿をよく見かけます。
アジア人労働者の多くは、「技能実習生」あるいは「特定技能生」と呼ばれる資格で入国しており、「技能実習生」とは、日本の技術や知識を開発途上国に移転して、その地域の経済発展に寄与する目的で人材を受け入れる、という制度上の名目ですが、実態は日本国内の人手不足を補う、安価な労働力として利用されている側面が指摘されており、その反省も踏まえて令和元年から導入されたのが、「特定技能生」というもので、これははなから国内の人材不足解消を明から様に目的として、特定の産業分野で働く外国人を受け入れる制度です。
「技能実習生」の実習期間は1年から2年、「特定技能生」は在留期間 MAX5年となっており、これが終わると日本にとどまりつづける自由はなく、本国に帰ることになっています
この技能実習生と特定技能生が、現在、日本における外国人就労ビザ全体の3割にも達しており、実数でいうと約68万人、10年前と比べると4倍以上に増加しているようです。円安にもかかわらず外国人実習生が増えている背景としては、やはり日本での人手不足問題の深刻化があるように思えます。
糸島の外国人増加の中心が、技能実習生や特定技能生であると仮定すると、その状況に関して、個人的には正直言ってちょっと複雑な思いを抱いてしまうというか、あまり肯定的に受け止めることはできません。
理由は2つでして、まず一つ目はコミュニティ分断の懸念です。
地域社会に外国人居住者が加わると、国際感覚や新たな価値観を取り入れるきっかけとなり、地場産業の競争力強化や地域コミュニティの活性化が期待できる面があると思っています。映画ダンス・ウィズ・ウルブズのケビン・コスナー的な位置づけ、あるいは、ラスト・サムライのトム・クルーズ的な位置づけ、そんな感じです。
しかしながら、外国人技能生は制度上どういう立場かというと、特定の業種の特定の企業が、期間限定で短期的に受け入れる労働者、と、いう特殊な建付けなので、当然日本国内での転職は原則NGですし、在留期間も目一杯ねばって最長8年という法律上の縛りがあり、基本は日本でW-カップを1度見れるか見れないかという感じで、一方で、家族を連れてくることは認められず、まさにホームシックを煽る環境セッティングになっています。
つまり実態として彼らは、日本における安定した生活基盤や、長期的キャリアの展望を持つことのできない『短期の出稼ぎ非正規労働者』、という色合いが強いと言えます。ですので外国人技能生たちが、、仲間同士で身を寄せ合って結束することはあっても、地域のコミュニティに対し、映画のケビン・コスナーやトム・クルーズのように、一定のエンゲージメントの意識をもって関わりを持とうという動機づけが自然に生まれるとはなかなか考えられず、そうなると彼らの存在は、地域コミュニティの活性化に寄与するどころか、勤め先の人間以外の地域住民の目線からすると、もっぱら職場と寮の間を行き来する姿を見かけるだけの謎の外人集団として地域から浮いてしまう、という悲しい状況になってしまうと思うわけです。つまり彼らによって地域空間にもたらされるものは、はからずも、多文化共生ではなく、コミュニティの分断である、とすら言えなくもありません。
外国人実習生個々人についてやあるいは個々の受入企業の現場について文句があるわけではありません。技能実習生や特定技能生を定める日本の「制度」に対して、違和感が禁じえない、ということです。これはある意味で、日本をこの30年余りに亘り停滞させた原因の一つである日本人における非正規雇用の広がりに対する問題意識と通ずるところがあるのかもしれません。
さて、個人的に外国人技能生増加に対し、あまり肯定的になれない理由の2つ目は、1番目と同様に個別労働現場のレベルの話ではなく、あくまで国の政策レベルの話ですが人手不足解消の策として外国人労働者受け入れで埋め合わせようとするその発想があまりに安易で短絡的であり、他にもっと優先すべき政策上の対応策があるのではないか、と考えるからです。労働人口不足に際し国として外国人労働者の大量受入れを進めるよりも先にもっと優先して取り組むべきだと思えることは少なくとも次の2つを考えます。
1つは、労働生産性の向上です。
先進国の中で日本の労働生産性は最下位だといわれて久しい中、非効率な業務プロセスや労働慣行の弊害を放置し、現場の人海戦術と滅私奉公マインドでしわ寄せを取るようなやり方には、もういい加減にピリオドを打つべき時にあると思われ、無駄な作業や手続に空しく消耗されていたマンパワーを、錆びついた鎖から解き放つように、活躍の機会を最大限に広げていくことに社会全体がフォーカスすべきかと思います。
また、組織と労働者のスキルマッチングがうまくいかない根本要因となっている終身雇用・年功序列などの古い雇用システムを見直すことで、より個人が活躍できる環境整備を進めるべきかと考えます。もちろん言うまでもなくこれらに加えて、デジタル技術活用の更なる促進も不可欠といえます。
こういった取組みは既に着手されてはいますが、もっと本格的に国家総動員体制で進めていけば、従来よりも少ない頭数で、個々人の労力を増やすことなく、より大きな成果を出せる余地は国じゅう至る所にあると思うわけです。
またもう一つの優先すべき事項とは、人手不足の起こっている産業における待遇改善です。介護、建築現場、運送業などなど、労働力不足が深刻化している業界においては、仕事がしんどい上に、労働市場の需給バランスに応じた適正水準の賃金や処遇が適用されていないため、いくら募集をかけても、なり手が集まらない、という状況に陥っているといえます。社会の基盤を支えるこれらの重要な仕事に対し、賃上げなどの待遇改善を積極的に進めていく基本方針を社会全体で合意形成し、利益分配の最適化を目指すことが日本社会にとって今、本質的に求められていることではあるまいかと考える次第です。
こういった労働生産性向上と労働者待遇の改善を、まずは社会全体で徹底的に追求した上で、それでも人手がどうしても足りない、ということであれば、装い新たになった次世代型の労働環境の下で、外国人労働者も適材適所で起用していく、というのが物事の正しい順序ではないかと思うわけです。
ちなみに法務省のウェブサイトを見てみると、「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」というのが掲載されていて、どんなことが書いてあるのかと、ざっと目を通してみましたが、外国人実習生の生活環境・労働環境を巡る課題や現状の日本人組織の労働生産性の低さ、あるいは、特定業界における処遇の悪さ、などに関する問題意識は特に提起されていないようでした。代わりに目についたのは、共生社会実現策の一つの柱として
外国人に対する日本語教育の充実、というものがかかげられていました。
現実的視点で言えば、日本語は日本以外では通じない特殊言語であり、在留外国人の大半が短期間の滞在をベースとしているのが実態であるにもかかわらず、それでもなんとか彼らを頑張らせて謎に満ちた東洋の特殊言語を仮にマスターしてもらったとしても、肝心の“日本人コミュニティー”の輪の中に入れないと、いくら言語力があったとしても、会話の内容がうまくかみ合わず、日本人同士でありがちな、無駄に次から次に繰り出される流行語にもついていけず、コミュニケーションが成立しないまま、無力感と徒労感を募らせて終わってしまう、という可能性が高いのではないかと思ってしまいます。
多文化共生社会の実現という文脈で考えると、在留外国人向け日本語教育に税金を投じつづけるよりも、むしろ日本人側の問題として、義務教育課程で学ぶ英語のカリキュラムを抜本的に見直し、国民全体の実践的英語力の底上げをはかるべきではないかと思います。「学校で英語習ったけどしゃべれない」が当たり前になってしまっている日本の実情は
どう考えてもおかしいわけで、まさに教育界においても生産性の低さが如実に現れていると思います。
やり方さえ工夫すれば、中学・高校の6年間もかければ、それなりの実践的英語力は身につくはずで、日本人全体の実践的英語力のレベルが上がれば、在留外国人とのコミュニケーションや多文化共生社会の実現に寄与することはもちろんですが、むしろそれはオマケのようなもので、グローバル化が進む世界経済の情勢において、日本人の国際的競争力を更に高めることにつながるわけですから、きわめてコスパの良い取組みになろうと考える次第です。
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