地方移住したFIRE生活

福岡生活における禁断の話題

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16〜23分

リード

福岡県外の人にありがちな勘違いとして、「博多」を福岡市と同義に扱っても良いと思いこんでいる人にわりと出くわします。福岡市に出張することを「博多出張」といったり、福岡市出身の人全般を「博多出身」と呼んだりする人がいたりして、多分ですが、Xを今でもツイッターと呼ぶ人がいるように、「福岡」というオフィシャルな呼称に対し、やや古風ながらもちょっと通ぶった言い回しをすると、「博多」という呼び名になる、といった感じの誤った認識が、何らかの経緯で刷り込まれたのではないかと思われます。

これに限らず古今東西、地元以外の人間が、地元民が呆れるような勘違いをしたり、ステレオタイプに基づく短絡的な思い込みをしたりすることは、世の中によくある現象だと思いますが、ここで一つ指摘したいのが、福岡に関して、地元以外の人間がしばし勘違いしがちな事柄として、

ラーメン、

があげられるかと思います

福岡を代表するご当地グルメとして、豚骨ラーメンを筆頭にあげる人は少なくないと思いますが、往々にして県外の人間は、福岡の地元民すべからく、ラーメンを話題にすれば、それなりに会話が盛り上がることだろう、と思い込んでいる節があるように思いますし、恥ずかしながら自分もかつてはその一人でした。

ところが自分が東京から福岡に移り住んで、初期のフェーズで得た教訓の一つとして、福岡の地元民に対して、ラーメンの話題を、まるで天気の話でもするかのように、安易に振ってはいけない、ということを学びました。

福岡に移り住んだばかりで、まだ何もわかっていなかった頃の自分は、福岡地元民との会話を盛り上げる鉄板ネタとしては、プロ野球のホークスの勝敗の話か、豚骨ラーメンの話題でもしておけば、ほぼほぼ間違いなかろうと思っており、もし会話にちょっとした隙間でも生まれようものなら、そこで意気揚々と、本場地元民が認めるラーメン屋とはどこなのか、などと不用意に教えを乞ったりした訳ですが、その結果としては、話が盛り上がるどころか、なんとも形容しがたい、不穏な空気が一瞬よぎった後、できるだけ早くそして穏便に、何か別の話題に切り変えようという無言の圧が、ヒタヒタとその場を支配していった、そんな経験が思い返されます。

社会人のたしなみとして、初対面や面識の浅い相手との会話において、政治や宗教の話題に触れることは、控えた方が良い、と一般に言われています。福岡地元民との会話においては、豚骨ラーメンのネタも、この禁断ネタ・カテゴリーの中に、含んでもいいのではないか、とさえ自分としては思うわけです。

つまり、ラーメンをトピックとして語る場合は、天気の話題のようなカジュアルな扱いではなく、政治や宗教の話をする時と同じような慎重さ、つまりセンシティブな扱いが求められるのではないかと考える次第です。

そう考える理由としては主に3つあります。

一つ目の理由、それは、豚骨ラーメンの多様性です。

最初にことわっておきますと、自分はラーメンという食に対して、特に強い思い入れは持ち合わせておらず、どちらかというとフラットあるいは、関心薄目の立ち位置なのですが、福岡に来てみてわかったことは、一口に豚骨ラーメンといっても、実に多種多様・百花繚乱(りょうらん)であることを思い知りました。

思い返せば自分が東京に暮らしていた頃、週末のランチには、よく渋谷の一蘭に行っておりました。その最大の理由は、豚骨ラーメンが好きだから、というよりも、カウンターに間仕切りを設置して、注文も含めて一切が無言のうちに片付いてしまう、あの独特の自閉モード・システムが、陰キャの自分にとっては心地良く思われたからでした。

そんな自分が福岡に移住して最初に足を運んだのが、当時の家の近所にあった元祖長浜屋でした。一蘭テイストをベンチマークにしていた自分にとって、その味はあまりにも

本場地元の豚骨ラーメンとして、勝手に自分がイメージしていたものとは、大きくかけ離れていたもので、まったく別ジャンルのラーメンと言っても過言ではないほどでした。

そのようにして、いわゆる「博多ラーメン」とは異なる「長浜ラーメン」というジャンルがあることをまず知った自分は、次第に博多ラーメンの中でも、店によって味が大きく違うことを学んでいきましたし、店毎の違いとは、クオリティの優劣ではなく、レシピやスタイルの多様性であることを理解するに至りました。また、豚骨ラーメンのジャンルとしては、他にも久留米ラーメンや熊本ラーメンなどもあり、これまた食感や風味が異なりますし、更に店によって味付けも変わってきます。

こうなってくると、豚骨ラーメンを十把一絡げに扱っていた、かつての自分が薄っぺらに思われると共に軽はずみに豚骨ラーメンについて語ることが躊躇われるようになりました。

中国の老荘思想に「知る者は言わず、言う者は知らず」という言葉があります。深い知識を持つ者はその知識を無闇に披露することを躊躇し、逆に知識の浅い人間ほど安易にひけらかそうとする、という意味ですが、まさに豚骨ラーメンの多様性を知れば知るほど、軽々しく豚骨ラーメンを語ることが、ひどく浅ましく思えてきたのでした。

ラーメンネタをセンシティブに扱うべきと考える2つ目の理由、それは、

人生観との結びつき、

です。

おそらく福岡が地元の人の多くにとって、ラーメンとは、単なる食事ではなく、

部活帰りに食べたあの味、好きな人とのデートのシメにすすった一杯、寡黙で頑固だった親父がいつも通っていたあの店、と、いった感じで、人生の原風景に織り込まれるかのように、人それぞれのラーメン・エクスペリエンスがあり、それが独自のラーメン観を形成し、ひいてはその人の人生観にも何らかの影響を及ぼしているのではあるまいかと思い知るに至ったわけです。

もし自分の好みのラーメン屋に関して、他の誰かが何か否定的な発言をしたとすると、それは単なる店の論評の域を超え、その人の人生経験そのものに挑戦するかのような響きを帯びるものであり、ただならぬ緊迫した状況すら引き起こす可能性があると言えます。

また、たとえ悪意はなかったとしても、自分にとってベストの「推し」のラーメン屋を表明したとすると、そのこと自体が、間接的に他の人の好みの店や味を否定してしまう、一種の攻撃性をはらんでいるとも言えます。

そもそも、味の好みは人それぞれで、単一の物差しがあるわけではないにもかかわらず、面白半分に人気投票のランキングのようなノリで、複数のラーメン店の優劣具合を評価しようと試みる、そんなラーメン談義がはじまってしまったら、人生の歩みと共に培ってきたラーメン観を胸中に抱く人にとって、ひどく居心地の悪い思いをするのではないかと思いますし、その空間にぎくしゃくした対立構造が生じるかもしれません。

ちなみに、自分が感じている福岡の人々の一般的特色として、あまり表立って他人を批判したり対立したりすることを好まない、そんな傾向があるように思います。したがって、たとえいくら自分のラーメン観に自信と誇りがあったとしても、それを軽々しく他人の前で主張することは控える傾向があるように思います。

そして最後に「ラーメン・センシティブ問題」の三つ目の理由、それは単純に、福岡の地元の人の中でも、豚骨ラーメンが苦手な人がいる、ということです。

福岡に住んでるんだから皆ラーメン好きなんだろう、的なステレオタイプで人を乱暴にラベリングするような接し方をすると、そうではない人をひどく困惑させてしまう可能性があるわけです。さきほどのラーメンと結びついた人生観の話と逆になりますが、ラーメンに対してまるで関心も思入れのない人も存在する、という事実を見落とすわけにはいきません。世の中には、スキーが滑れない北海道民もいれば、辛い物が苦手なインド人もいれば、引っ込み思案のイタリア人もいれば、紅茶よりコーヒーが好きなイギリス人もいるように、豚骨ラーメンが苦手な福岡県民もいる、ということを我々は常に忘れてはいけないのだ、と思うわけです。

尚、個人的な印象として、福岡県民のほぼ全員が、うどん好きではないかと思っています。

ちなみに今自分が住んでいる糸島には、「一蘭の森」という場所があって、一蘭が自社製麺所を営んでおり、その敷地内には飲食スペースとお土産屋も併設されていて、けっこう広めの駐車場には連日大型観光バスが何台も停まっており、アジアからの観光客がわんさか訪れております。海外、特にアジアでの一蘭の人気は目を見張るものがありますが、おそらく今や多くのアジア観光客にとって、糸島といえば、あたかも聖地巡礼のように、「一蘭の森」で工場見学をし、その後ランチでラーメンを食べるところ、という感覚が広く根付いていっているのかもしれません。糸島市の観光業界関係者におかれましては、二見ヶ浦経由で一蘭の森に大型バスで乗り付ける大量のアジア観光客の動線を、他の市内観光産業にうまくつなげる工夫をしてみてはどうか、と思ったりします。

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