地方移住したFIRE生活

無職になってわかったこと

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14〜20分

リード

思えば無職生活を始めてからそれなりの月日が経ちまして、失業保険の給付金の受給もすっかり終わりました。かつて会社勤めをやめるに際しては、あらかじめ経済的、あるいは精神的に色々準備を整えたものの、それでも実際に無職になってみてから初めて気づかされたことは多々ありました。

ということで今回は、実際我が身をもって無職になってみなかったら、わからなかったであろう色んな気づきについて、簡単に紹介させていただければと思います。

まず無職になると、一言でいえば「EGW」、つまり、エヴリデイがゴールデンウィークみたいなものなので、曜日感覚がなくなるだろうと当初思っていたのですが、実際、無職になっても曜日感覚は失われません。

失われるのはズバリ、祝日の感覚です。

仕事通いがなくなっても、ゴミの日だとか、もろもろの日用品を買うお店の定休日など、常日頃曜日を把握する必要はありますし、外出や旅行の際は、なるたけ人混みを避けるため

平日を選んで行動することを心がけるので、無職になっても曜日感覚が失われることはありません。

ただ、「国民の祝日」は、一般的な会社勤めの人にとって、一種のご褒美のようなスペシャルなお休みになるわけですが、そもそも出勤予定のない日常をおくる無職という存在は、祝日のもたらすご褒美効果の射程外にいるため、おのずと祝日に対する感度が鈍くなってしまいます。

なので、うっかり祝日の存在を無視して、予定を立ててしまうミスをしばし犯してしまいます。

たとえば、月曜日が定休日になっている美術館などの公共施設では、月曜が祝日にあたる場合は火曜日に休館日を振替えたりしますが、これに気づかずにうっかり火曜日に足を運んでしまい、玄関に掲げられた定休日の札を前に愕然とすることがあったりします。また外出の予定を組む場合、平日の人出の少ないタイミングを狙ったつもりが、実はその日がズバリ祝日であったり、あるいは祝日にはさまれた平日をぶち抜き連休にしている人が多かったり、そんなことを後になって気づく失態をやらかしたりします。

この「祝日に疎くなる」というのは、「無職アルアル」ではないかと思いますので、

無職の人用のカレンダーとしては、むしろ祝祭日が殊更はっきりとハイライトされているデザインが望ましいかと思います。

次の「無職アルアル」としては、平日の外出機会が増えることに関連しますが、行く先々での老人遭遇頻度が高い、ということです。

要は、できるだけ人手の少ない平日を狙って行動しようという無職的発想は、年金生活のご老人たちの行動パターンともろかぶりになるので、映画にしろ食事にしろ観光にしろ、何につけても外出先の空間で、とかく多くのご老人たちと動態が重なるケースが多いです。

並んだ列の前後は老人、

席に座れば両隣は老人、

映えスポットの写真の端に写りこむのは皆老人、

てな感じで、自分としてそのことに別に不満があるわけではありませんが、つくづく日本が高齢化社会に向かっているなぁと実感させられます。

もしも恋愛相手やパートナーを真剣に見つけたいと思っている人がいるなら、無職というライフスタイルは、外出先での偶発的で魅力的な出会いの機会が、かなり限定的になることを、それなりに覚悟する必要があるかなと思います。

一方で、無職になると当然ながら、自分の自由な時間が格段に増えることになります。仕事に拘束される時間がなくなることは言うまでもありませんが、それに加えて、仕事に付随して実に様々な形で、人生の貴重な時間が奪われていたことに気づくことになります。

会社までの往復の通勤時間 はその最たるものですが、その他にも地味にバカにできないと個人的に思うのが、靴磨きとアイロンがけの時間です。この「賽の河原」的な家事労働がたぶん累積でかなりの時間を人生から奪い去っていたわけで、無職になってそれらの使役から解放されてみると、ふつふつと喜びの感情がわいてきます。

会社を辞めて初めてわかったこととしては、辞めてしばらく経っても、いまだに会社での仕事の夢を見る、ということです。

しかも自分の場合、会社をやめてから今に至るまで、ほぼ毎晩、夢の中に仕事が出てきます。

人は結構な年齢になっても、夏休みの宿題をためこんだ夢を見たり、学校の単位を落として留年しそうな夢にうなされたりする、というのはよく聞く話ですが、自分の実感として、仕事に関しては、こりゃ死ぬまで夢に出て来るな、という強い予感を抱いています。

尚、自分にとってのサラリーマン三大悲劇というのがあって、何かというと、

「はしご外し」

「板挟み」

「手柄横取り」

の3つがサラリーマン生活で起こりえる代表的なストレス・イベントだと思っており、シェークスピアが現代に生きていれば、きっと戯曲の題材にとりあげるのではと思うのですが、そんなサラリーマン生活にまつわる悲哀のドラマが、自分の睡眠時間において、繰り返し繰り返し、おそらく死ぬまで脳内で演じられることをどうやら覚悟しなくてはならないようです。

ちなみに、もうちょっと現実的な話に話題に変えると、無職になって改めて感じたことは、税金や社会保険料の負担の重さです。

もちろん 現役時代より負担の金額は減るものの、負担の方法が、もはや給与天引きという形式ではなく、自分の手元にある金から納付するという形になることで、税負担の意識が目覚しく変わりました。

とりわけ会社を辞めた翌年は、住民税や健康保険料などが前年の所得を前提に請求されてくるので、無収入の状態下においては、かなりの負担感を覚えることになります。

給与天引き時代には関心が薄かった税金や社会保険料の個別の負担項目ひとつひとつに目を通していくと、それら一切合切に納得感がもてないわけではありませんが、なんでこんなに負担が重たいのか、と少なからず疑問や不満が湧いてくる部分もありますし、その前提となっている政策や制度設計、あるいは納めた税の使い道に対しても否応なしに関心が向くようになります。

まぁ自営業など普段確定申告している方々からすれば、今さら何言ってんだ、という感覚でしょうし、単に自分が今まで意識低めの人間だったというだけかもしれませんが、ふと考えてみると、一般に老人世代の方が政治への関心度合が高く、ひいては、投票率も高くなり、政治家にとっての分厚い票田になっていると言われていますが、その背景の一つとしては、現役引退した高齢者は、税金や社会保険料を給与天引きではなく直接自分の懐から納めている、という点が一つの要因として強く影響としているのではあるまいか、とふと思いました。

逆に現役世代、特に若い世代の政治的無関心や投票率の低さが社会問題として取り上げられたりしてますが、極端な話、給与の源泉徴収を一切やめて、国民全員がE-Tax使ってスマホで確定申告するようになれば、間違いなく制度や公金の使い道への関心はグンと高まるのではないか、と個人的に思ったりします。

最後にどうでもいい話ですが、自分が会社を辞めて無職になったら、かねがねやりたいと思っていたことが3つあって、何かというと、

金髪にして、

タトゥーを入れて、

Microsoftと縁を切る、

ということでした。

三番目については、会社やほとんどのクライアントがMicrosoftを採用していたので、しかたなく自分のプライべートでも、Windowsユーザーになることを不本意ながら受け入れていたものの、アップグレードと称して、ユーザーへの配慮を軽視しているとしか思えないような

ソフトの仕様やUIの変更が繰り返され、それに振り回されたつづけた積年の恨みから

会社生活を辞めることになったら、身辺の脱Microsoft化を進めてやる、と、心に誓っていたものでした。

で、実際無職になった結果として、3つのやりたいことのうち、温泉に入れなくなるので、タトゥーを入れることだけは断念しました・・・。

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