地方移住したFIRE生活

FIREはもうオワコン?

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15〜23分

リード

自分は会社生活に早めに終止符を打って、現在は気ままな無職生活をおくっているのですが、会う人のだいたい10人中10人からは、なんでリタイアしちゃうの?もう働かないの?と、疑念や困惑の表情を向けられます。

自分としてはそもそも仕事に生き甲斐や自己実現を重ねていなかったので、あくまで生きる為の「稼業」と位置づけておりましたが、ラッキーなことに不動産の売却などで、金融資産がそれなりに積み上がったため、身軽で気楽な独り者ということもあり、東京から物価の安い地方に引越せば、まぁ働かなくてもなんとか生きていけるだろう、ということで、巷でいうところの「FIRE」に踏み切った、というのが、わたくしの個人的事情の説明になるわけですが、正直これを会う人会う人にいちいち説明するのは面倒だなと感じています。

普通は定年まであるいは定年後も年金受給までは働くもんだ、という世の中の一般常識に照らせば、変わり者扱いされても文句は言えない訳ですが、ただ個人的に考えますに、わりと近い将来には、人それぞれが、それぞれの事情に応じて、リタイアする時期を各自バラバラに決めるのが当たり前の時代、つまり定年退職に代わる『自主的リタイア』が主流となる時代が到来するだろう、と予想しています。

なぜかといいますと、従来の日本の雇用システムが、いまや根本から崩れかけていると考えるからです。

自分の会社員時代の話を少しだけさせて頂きますと、若い頃は連日残業で休日出勤も当たり前の日々をおくっており、そのわりに貰える給料は少なく、常に銀行残高は赤字で、複数の金融機関からの借金を抱えている生活をしておりました。

かつての米国のハードロック・バンドの、Quiet Riotというグループが作った

『Overworked and Underpaid』

という曲がありまして、低賃金でこき使われる労働者のムカつきパワ-をロックにしたもので、まさに文字通り、『オーバーワーク』で働いても、給料はといえば、これっぽっちかよ、という額の『アンダーペイ』しかもらえない、というやり切れない状況をモチーフにしたものですが、自分の若かりし時もまさに、オーバーワークでアンダーペイの状況でした。

ところが歳を重ねてふと気づくと、大した仕事をした手応えもないのに、そこそこの額の給料をもらっている自分がおり、キャリアの折り返し地点を過ぎた頃から、さっきとは正反対に、アンダーワークであってもオーバーペイが貰える、そんな状況に転じていることを実感しました。

実はこれは日本企業の雇用システムの大きな特徴の一つで、これには

『ラジアーの理論』

というちゃんとした名前もついています。

『ラジアーの理論』とは、1979年に米国の労働経済学者Edward Lazearが、日本企業の定年退職制度の背景について論説したもので、それがどういったものなのか、横軸に年齢、縦軸に労働生産性の価値を置いたグラフで説明しますと、労働者の生産性と賃金は年齢と共に上昇していきますが、若い年代のときは、その人が生み出す価値に対して賃金が低めに設定されており、一方、年齢を重ねると共にそれが逆転して、生産価値よりも高めの賃金が払われる、ということをグラフは示しています。

つまりキャリアの前半は安くこきつかわれる、オーバーワーク+アンダーペイのQuiet Riot状態、いわば「下僕」のような扱いを受けることを、グラフのAの部分が示しています。

そしてキャリアの後半パートになってくると逆に、アンダーワーク+オーバーペイを享受できる、いわば窓際族的なゆるゆるの処遇の時代、つまり逆Quiet Riot状態になるのが

グラフのBの部分です(※もちろん幹部に出世する一部の人たちは除外します)。

ただこの『窓際時代』を延々と提供できるほど、会社には余裕はないですから、一定のタイミングがくれば「窓際時代」は強制的にバッサリ打ち切られます。これが「定年退職」という制度の目的なわけですが、同じ会社に勤めつづければ、定年によって理屈的には、下僕時代のアンダーペイが、窓際時代のオーバーペイとバランスするように設計されている、つまりAとBの面積がほぼ等しくなる、と、いうのがラジアー理論のあらましとなります。

日本の雇用システムは、このラジアー理論に基づいて回ってきたわけですが、このシステムは今、ズバリ崩壊に向かっていると言えます。

要は若いうちに支払うべき賃金を企業側が預り金としてプールして、後々、歳をとったらプールしておいた預かり金を取り崩す、という「後払い方式」がラジアーモデルの肝なわけですが、実際のところ企業は預り金などプールしてはいません。

で、人口動態の変化によって、団塊世代に代表されるように、中高年齢者の層がブ厚くなり、対称的にそれを支える若者の数が減少したことを受けて、企業は人件費の増大に頭を悩ますことになります。

またビジネス環境の変化や技術進歩が加速化する中で、スキルの陳腐化が急速に進む世の中になってしまったため、デジタル化に乗り遅れた高齢労働者が端的な例を示すように中高年の「アンダーワーク」っぷりが度し難いレベルとなり、仕事の質の劣化に対する過大賃金の歪さが、より顕著に目立つようになってきました。

それどころか、「失われた30年」といわれている通り、90年代以降の日本では実質賃金は長期低迷し、ラジアー・モデルの辻褄合わせが難しくなると、そのしわ寄せを主に氷河期世代がとることとなってしまい、キャリアが長くなっても一向に賃金上昇が望めない、というアンダーペイのリカバリーができない、詐欺のような現象が起こってしまっています。

またバブル崩壊以降大量発生した非正規社員に至っては、更に悲惨なことに、一般社員の「下僕時代」に適用される給与水準を相場とされ、アンダーペイ体系の賃金を長期で固定化されてしまいました。

こんな状況によって、氷河期世代以降を中心に、企業に対する「長期的な信頼」はガタガタになり、もはやかつてのように、企業が若年社員に対し低賃金耐久を求めることはできなくなりつつあります。

近年、若者の離職率が上がっていることがよく取沙汰されますが、「やれZ世代が~」といった類の世代間の感覚のズレのような次元の話ではなく、社会構造の変化に起因するものだととらえるべきかと思います。

つまり終身雇用ベースの年功賃金を前提とすることなく、成果に対して都度都度正当な評価をすることを、労働者が求めるようになってきている流れだと言えます。

一方、企業側としても、賃金抑制やグローバル人材登用の促進の観点から、成果主義に基づく適正報酬の制度設計を進めていますし、ジョブ型雇用の導入や労働市場の流動性拡大も後押ししています。

こういった動きによって、終身雇用を前提とした年功賃金システムであるラジアー・モデルは崩壊し、当然のことながらそれに伴って、「定年」という制度も遅かれ早かれ、空中分解することになると思われます。

「定年」という制度は、日本だけではなくアジアを中心に他の国でも採用されてはいますが、全世界的に見ると一般的とはいえない制度です。年金受給年齢で実質的にリタイアすることが一般化している国は多々ありますが、別に定年退職をルール化しているわけではありません。むしろヨーロッパを中心に、年齢による一律退職は「年齢差別」とみなされるようになりつつあり、世界的なトレンドとしては、各自の自主判断でリタイアする年齢を決めることがいまや主流になっているようです。

ということで、いい悪いは別にして、ラジアー理論の破綻と共に、日本においても遠くない将来、自主的リタイアの時代が、到来するに違いない、と考えている次第です。

またラジアー・モデルでは、会社で長く働けば働くほど得をする、という構図でしたが、今後、厳格な成果報酬主義にとって代わられることになると、話は単純ではなくなります。

従って、生涯総所得を最大化するためのキャリアプランは、人それぞれ違った形に多様化するだろうと予想されます。もちろん仕事を自己実現と重ねている人にとっては、収入どうこう関係なくずっと仕事をつづけることを選ぶことができます。

つまり、どのように働くか、いつまで働くか、という点については、人によって千差万別・多種多様、となるのが、これからの新たな常識になってくるだろうと思うわけです。

で、「定年退職」のない世界が訪れた場合、個人個人で それぞれのリタイアの時期を決める上において、色々考えることになるわけですが、経済的自立可能な額の資産を形成できたどうか、という点もさることながら、これまで自分が働いた分の正当な対価をちゃんと回収できたかどうか、といった点にもより関心が高まるのではあるまいかと思ったりします。

そして「定年」が死語になれば、いつのまにか「FIRE」という概念も、自然とオワコン化するのかなと思っています。

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