これから先の将来のことを考えると、つくずく何が起こるかわからないことだらけだなぁと改めて感じます。今自分は給与所得のないFIRE生活をしているので、家計のやりくりに直結する事柄についてはやはり関心が高くなります。社会保険料や税金の負担は今以上に増えていくのだろうか、とか、光熱費やガソリン代なんかの生活費はどうなっていくんだ、とか、色々心配になりますし、少しばかり金融投資もしているので、今後の株式市場や為替の動向、ひいては、その根幹に関わる政治や社会問題、国際情勢なんかについても気になります。気にしたところで、今後どうなっていくのかさっぱりわかりません。先行き不透明ということで言えば、自然災害の多い日本においては、いつかどこかで大きな災害が起こる可能性がありますが、それがいつどこでどんな風に起こるかなんて予めわかるはずもありません。
とまぁ、先々わからないことずくめな訳ですが、未来に起こることがほぼ確実に予測できていることもあります。その端的な例は、日本の人口が減る、ということです。
2008年をピークに日本の人口は毎年「うなぎ下がり」で減少をつづけており、厚生労働省の試算では2050年には1億人を割り、2070年では外国人を含めても87百万人まで減ると予想されています。「いやいやもっと減るだろ」という予想もあるようです。
日本の人口減少問題については、各方面で様々な議論がされていますが、自分として興味があるのは、なぜ人口が減るのか、とか、それは誰の責任か、とか、どうやったら防げるか、といった点よりも、既に決定づけられている人口減少によって身の回りに具体的にどんな変化が訪れるか、という点に注意が惹かれます。就中、今までの常識や定説が根底からひっくり返るような、いわゆるパラダイムシフトが起こる分野については、特に身構えておく必要があるかなと思っています。と、いうことで、今日はそこら辺について自分なりに頭の整理をしてみたいなと思います。
2024年に発表された民間の有識者グループ「人口戦略会議」のレポートによると、2050年までに日本の20歳から39歳の女性の総人口が大幅に減少することは明らかで、さらに、それを自治体別に分析すると、全国1729の自治体のうち、744の自治体は2050年までに20歳から39歳の女性の減少率が50%を上回るとしています。この744の自治体に対しては「消滅可能性都市」という、わりと絶望的な呼び名を与えており、これに該当する地域の人口は100年後には1割程度にまで縮小し最終的には消滅する可能性が高いのではないかと推測しています。この「消滅可能性都市」は、実名入りのリストで公表されており、実際見てみましたが、なかなか容赦のない生々しいデータです。
ちなみに、消滅可能性都市に該当しない自治体に関しても、ほぼ全てにおいて若年女性人口は減少する予想となっており、減少率が辛うじて20%未満にとどまっている比較的「まし」な自治体を「自立持続可能性都市」と呼んでいますが、その数は65しかなく、全体の4%に過ぎません。
ということで、日本の人口の減少は、全土一律ペースではなく、まだら模様に起こることがはっきり見えてくる訳ですが、言い換えると、人口偏在の拡大、つまり、人が住む地域と住まない地域の二極分化が鮮明化する、ということがシンプルに見て取れます。
戦後日本では、かつて田中角栄が日本列島改造論で述べたように「国土の均衡ある発展」が基本理念として掲げられ、全国津々浦々において地域間の均衡を図りながら国土全体の開発を進めることが大方針だった訳ですが、あくまでそれは20世紀までの人口増加社会を前提に成り立ち得るもので、今となっては大幅な軌道修正が求められている状況だと思います。
人口減少地域では、生活・物流・交通のインフラや、各種の小売サービスの運営が経済的に到底維持できないレベルに陥り始めており、もはや過疎云々というより、いつ消滅するかのカウントダウンの次元になりつつあります。「ふるさと」と呼ばれる土地を失う人が数多く発生することは痛ましい限りですが、田舎の生活コストが尋常じゃないほど爆上がりし、国土が居住地域と非居住地域にはっきりと分化するという流れは、ある意味で当然の姿に向かっているのかもしれません。かつて、一緒に新幹線に乗っていたアメリカ人の知り合いが言っていたのですが、「日本は街と街の間にも人が住んでいる」と驚いていました。自分も豪州に住んでいたので言わんとすることがすんなりイメージできたのですが、街と街の間に、家も電灯も何もない土地が広がっている、という状態は、日本以外の国では決して珍しいことではありません。まさに「国土の均衡ある発展」を目指した結果が、今の日本の有り様といえるのかもしれません。
一方で、総務省は2035年迄に日本国内の3分の1の家屋が空き家になると予想しており、2025年以降は東京でも人口減少が見込まれる中、都市部においてすら不動産の供給過剰が顕著になるようです。そうなると、かつて不動産担保を元にバブル経済が膨れ上がったような日本の土地神話は完全に過去の遺物となり、不動産の価格水準が一段と低落することで、人が土地に縛られるのではなく、あくまで人が生活し易い場所を求めて人口移動が促される社会環境が生まれるのでないかと思います。そうなると、おそらく全国各地ごとに中小規模以上の都市への人口集約が自然と進み、それが余りに当たり前のことになり過ぎて、「コンパクトシティ」という言葉は死語になるのではないかと思ったりします。
ところで、人口減少社会・日本において想定されるもう一つの大きな変化は、労働生産性の徹底重視だと思われます。将来に向けて労働力不足は一層深刻化するといわれており、リクルートの予測では2040年には1100万人の労働力が不足するとされています。外国人労働者の活用もある程度は進むでしょうが、本質的に求められるのは、現在先進国中最下位といわれる日本の労働生産性をいかに改善するか、ということに尽きるかと思います。既にジョブ型雇用の導入や人材流動化を進める動きが経済界で具体化する中、雇用の安定とトレードオフしてでも、労働生産性を徹底重視する流れは、これからは待ったなしの状況かと思います。貴重な人的資源について社会全体で適材適所の活用を図るべく、終身雇用や年功序列などの硬直的な労働慣行が完全オワコン化することは必然でしょうし、生産性に基づく企業の淘汰も至極当たり前のことになっていって、これまで雇用維持を大義名分に生き長らえてきた有象無象のゾンビ企業は次々に破綻するでしょうし、代わってスタートアップ企業がより活発に誕生し、M&Aもさかんに行われるようになるのではと思います。要するに、人々が働き口を失うことなく、市場原理による企業の新陳代謝が活発に進む世の中になる、ということかと思います。
会社組織に属する意味合いも、かつての幕藩体制で侍が主君に仕えるかのような重々しいものではなく、もっと軽やかで柔軟な意味合いに変わるでしょうし、どこの会社の名刺を持っているか、よりも、個人としてどのようなスキルや経験をもっているかが重視される社会になると思います。そうなると、新卒採用主義も崩壊して学歴身分社会も終わりを迎えることになり、詰込み型の受験勉強も単なるお笑い種になることでしょう。あくまでスキルと経験がモノをいう社会というのは、それはそれで疲れるでしょうけれども、労働力不足の中で個人の能力発揮が最重視される世の中になれば、物理的に働く場所をとやかく指定されることもなく、希望すれば副業も許される柔軟な社会に変わるはずなので、より選択の自由度が増す世の中になるのではと思います。
そういえば、一次産業である農林水産業の法人化も、労働生産性の観点から今後更に普及していくのではないかと思います。一次産業が法人化され、一定の規模感で組織的に運営されるようになれば、製造業のような勤務シフトを組むこともできるでしょうし、そうなると職住分離が可能となって、サラリーマンのように職場から離れた自宅を持って通勤する一次産業従事者も増えるかもしれません。それが実現すれば、現在一次産業が中心の地方部においても、さきほど話した居住エリアへの人口集約化が進んでいくのではないかと思います 。
ところで、最近カスタマーハラスメントがニュースで取り上げられたりしてますが、「お客様は神様」的なメンタリティは、労働生産性徹底重視の観点から、世の中から退場し、過剰な接客サービスと思われるものはドンドン廃止されると思います。最初のうちは反発や抵抗もあるでしょうが、思えばガソリンスタンドで今やすっかりセルフサービスが定着しているように、「お・も・て・な・し」と呼ばれる接客行動の多くは、「誰得」の過剰サービスだということに次第に気づいていくのだと思います。そのうちセブンイレブンが名前の由来通り、開業当初の7時開店11時閉店体制に戻っても、別に構わないのではないかと個人的には思います。いずれにしろ、事業者側の「おもてなし」的な努力によって、とりわけ過疎地域での生活者の暮らしが辛うじて成り立ってきた面があるとすると、その限界はすぐそばまで近づいているのかもしれません。
今自分が住む糸島市は、「消滅可能性都市」には分類されていませんが、かといって「自立持続可能性都市」と分類されているわけでもなく、人口減少の影響から決して遠い位置にあるわけではありません。ひょっとすると近い将来、ここ糸島での生活収支が急激に悪化し、自分のような人間が都市部への移転を余儀なくされる可能性も十分あると正直考えています。そういう意味で、今なにげなくエンジョイしている田舎での静かな生活は、後になって振り返ると、とてつもなく贅沢な暮らし方だった、と思える日が来るのかもしれません。
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