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もうマスメディアには騙されない

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20〜30分

リード

「オールドメディア」が流行語大賞に選ばれたように、マスメディアの報道の在り方に対し世の中の不信感がかなり高まっていると感じる今日この頃です。

ヒトがヒトを騙す場合、騙し方には大きく3種類あると思います。

一つ目をずばり、ウソをつく、つまり事実と違うことを相手に信じさせるものです。

二つ目は、相手が誤解するような情報の伝え方をするパターン、つまり、ちょっと小難しい表現に言い換えると、相手が認知バイアスに陥るように印象操作をするケース、と、いうのがあります。

そして最後に3番目は、当然伝えられてしかるべきことを伝えない、という「不作為」による隠ぺいや誤魔化し、といえる騙し方です。

①ウソを伝える

②認知バイアスにつけこんだ印象操作をする

③事実を伏せて伝えない

これら3種類の騙しのメソッドがすべて、残念ながら昨今のマスコミ報道の中に見受けられるように思います。

まず「①ウソを伝える」ですが、取材不足によって裏付けの乏しい虚偽の情報を、そのまま報道してしまう、という事例が実際起こっており、人間は完璧ではないので、悪意の込められた意図的なウソでなければ、人間、間違いを犯すのはしょうがないのかな、と個人的には思います。

ただそのウソが事実ではないと明らかになり次第、謝罪して訂正すると共に、信頼回復のために原因を検証し再発防止策を講じるのが、この人間社会で求められる良識と品格ではないかと思うわけですが、日本のマスメディアは、そういった「落とし前」をきちんととらず、責任をぼやかしたり、紙面の片隅で小さく謝罪して事を済ませようとしたり、あるいは、放置して風化させようと狙っている態度が時折見受けられます。

そしてそれよりも更に深刻な問題だと思えるのが、「②認知バイアスにつけこんだ印象操作」です。①のウソをつく場合と違って、印象操作の場合は、断片的で偏った事実を巧みに並べ立てて、間違った思い込みを誘発する手法ですので、ある意味「ウソはついていない」ものの相手を認知バイアスの罠に陥れて、歪んだ方向にむけて、印象や感情をコントロールしようという企ては、ストレートにウソをつくよりよっぽどタチが悪いといえます。

「認知バイアス」とは、ヒトが経験や直観に頼って偏った思い込みを抱いたり、間違った判断をやらかすことを意味しますが、別名アンコンシャス・バイアスとも言われていて、ヒトがヒトである以上、認知バイアスを完全に退けることは不可能といわれています。

太古の昔に人間が過酷な生存競争で生き延びるためには、とっさの状況判断で行動することが不可欠だったため、認知バイアスは そんな時代の名残り だともいわれています。

認知バイアスにはいろいろ細かい分類があるようですが、現代社会に生まれ落ちた我々は、日々、認知バイアスの落とし穴にはまりこまないように、あちこちに神経を使いながら生きている、といっても過言ではないように思います。

たとえばですが、人は自分の信じたい情報ばかりを集め、都合の悪い情報や反対意見を軽視する認知バイアスがあり、これが有名な「確証バイアス」というヤツですが、世の中には、この確証バイアスという人間の弱点に巧妙につけこんで、例えば、神様を信じさせて壺を売り込もうとする輩が近づいてきたり、高額手数料の投資話の売込みにくる証券会社の営業がいたり、DVを繰り返しながらも配偶者に精神的にもたれかかりつづける暴力夫がいたり、あたかも恋愛感情が存在するかのような態度を偽装して経験値少な目のオッサンから金を巻き上げる「頂き女子」がいたり、と、こんな具合に、我々の日常生活の中には

確証バイアスの罠が至るところで口をあけているといえます。

またソーシャルメディアなどネット空間の中で働くアルゴリズムは、うかうかしていると人間の確証バイアスを増幅させ、いつのまにか偏向思想の「フィルターバブル」に、すっぽり包み込まれてしまうおそれもあります。

その他にもさまざまな認知バイアスを用いた罠が、人間の営みの要所要所に仕掛けられているわけですが、たぶん「認知バイアス・トラップ」の手法を学ぶ一番わかりやすい教材としては、高齢者狙いのテレビ・ショッピングではないかと思います。

そこそこ知名度のあるタレントが過剰演出気味で紹介する、『通常価格5000円のところ今なら3000円!』とか、『業界売り上げNo.1』とか、『今から24時間以内のお申込みの方に限り』とか、『3か月はいつでも返品可能』とか、まさに視聴者の認知バイアスを誘発する手練手管のオンパレードになっています。

一方、マスメディアに話を戻すと、マスメディアが用いる印象操作の手法として、わりと頻繁に見受けられるのが、いわゆる「フレーミング効果」と呼ばれる認知バイアスにつけこむ手法です。フレーミング効果とは何かというと、同じ内容の情報でも、提示の順番や文脈や強弱や焦点の当て方などによって、受け止め方や判断が変わってくる、という認知バイアスのことです。

たとえば、あるハゲ薬の効果を伝える場合、「70%の人が効果を実感しました」と伝える場合と、「30%の人が効果を実感できませんでした」と伝える場合とでは、同じ事実を伝えてはいるものの受け手側に違った印象を与えます。

フレーミング効果につけこんだ印象操作は、統計的な味付けの施された情報と組み合わせるとすこぶる相性が良く、たとえばですが、サンプリング数が極端に少なかったり偏りがある統計であっても、仮にわずか3人だけしかアンケートをとらず、そのうち2人から「満足する」という回答があった場合に「66.67%の満足度」といった感じで数字の小数点を引き延ばして、あたかも精度の高いデータであるかのような演出を施したり、データの分布において極端に突出した異常値がある場合でも、中央値ではなく平均値を用いてそれを一般的水準であるかのように紹介したり、比率(%)で示すと大したことないデータを絶対値の大きさで示して大げさに見せたり、絶対値で見ると大したことないのに比率(%)の大きさで示して大げさに見せたり、直接因果関係のない2つのグラフを並べて相関関係があるかのように見せかけたり、あげくの果てにはグラフの高さや色を巧みに使い分けて見え方を歪めたり、と、いった感じの印象操作が悪びれることなく、ワイドショーなどで披露されていることが少なくないように感じます。

あるいは、いかにも写真映りの悪い画像が冒頭目立つように紹介されると、その人物の評価全体が冒頭の写真の悪印象に引っ張られてしまうのは、「ハロー効果」という認知バイアスからくるものですが、メディアの画面に映し出される画像から、このハロー効果による印象操作の意図が、はっきりと滲み出ているケースも珍しくないと思います。

あるいは「クレショフ効果」という認知バイアスがあって、無関係な画像同士でも、隣に配置することで、関連性のある画像であると錯覚してしまうものですが、ニュースのヘッドラインの並び順などを見ていると、このクレショフ効果に陥らせる意図を感じずにはいられないような、配列が組まれていることがあったりします。

たとえばですが、ある選挙の候補者の写真と、その横にまったく関係ない犯罪事件の犯人の写真を同じ画面に並べると、選挙候補者に悪い印象づけをもたらす効果が生まれたりします。

こういった認知バイアスを生み出す数々の手法を活用して、情報として事実ではあるけれども、至って部分的であったり、あるいは誤解を誘発しやすいような伝え方をすることで、受け手の印象操作をはかるやり方を指して、悪質な「切り抜き」と呼ぶことが今や一般的に定着しているかと思います。

最後に3番目の「事実を伏せて伝えない」という騙し方についてですが、最近ではマスコミの「報道しない自由」というフレーズが一般化して、わりと頻繁にその問題が指摘されるようになってきていると思います。今やその気になってネットで調べれば、誰でも一次情報にアクセスできるようになった世の中ですので、社会にとって重要だと思える情報を

マスコミが取り上げていないと、またたくまに炎上する場面は最近よく目にするようになりました。

憲法で保障されている「国民の知る権利」を行使する上で、マスメディアの果たすべき社会的責任は極めて重い、という至極真っ当な主張もさることながら、自分が会社勤めをしていたときによく目にしたのは、「そんな話は聞いてないっ!」と言って怒る人です。知るべきことが知らされない、ということに対し、人間は結構な熱量の怒りや反発を抱く、という性質をマスメディア関係者はちょっと軽視し過ぎているように思います。

もはやマスメディアが意図的に「ウソをつく」ことは、SNSの普及もあり通用しなくなりつつあり、認知バイアスにつけこむ「切り抜き」などの印象操作的報道や「報道しない自由」戦法は、悪質な社会問題として取り上げられるべき域に達していると感じずにはいられません

おそらく背景としては、長年培われた何らかのマスメディア側の利権を守るための意図や思惑が働いているに違いない、と思われるわけですが、すべてが陰謀論のような大層な企てから生じている、というわけでもなくて、単純にマスコミという組織において、人手と金が回らない深刻な状況が生じていて、そのせいで、公正性を担保する機能が働かず、視聴者側の認知バイアスへの配慮も欠落し、報道すべき事柄も取りこぼすことが多発している、という組織としての「質の劣化」が顕在化している面も無視できないのかもしれません。聞くところによると、マスメディアの就職希望者は年々顕著に減少し、人手不足が慢性化する一方で、スポンサーからの広告費用がネット広告に流れたせいで、制作予算も大幅に切り詰められている苦しい状況にある、という話もあります。

いずれにしろ、一生活者の立場としてつくづく困るなぁ、と思うのは、マスメディアが信頼できなくなってしまうと、いちいち自分自身で情報の出所を確かめたり、自分が認知バイアスに陥っていないか、都度都度立ち止まってチェックしなければならないので、面倒で仕方ない、ということです。

その昔、ネット上の某大型掲示板の書き込みに接するときは、迂闊に騙されたり煽られたりしないように、脇を固めて自衛策を講じるのがデフォルトでしたが、あたかもそれと同じような感じで、今やマスメディアの情報を目にしたら、その信ぴょう性をクロスチェックするために、ネットのSNSなどの投稿や書き込みを、自分で細かく調べなければならなくなった状況を思うと、いささか煩わしく、やりきれない気分になってしまいます。

決して自分の頭で考えることを放棄したいという訳ではないですが、世の中にあふれる膨大な情報の渦の中で、認知バイアスに陥らないような、安全フィルターのような役目を果たしてくれる、信頼性の高い報道メディアがもしあったとしたら、自分なら喜んで課金するのにな、と思ってしまいますし、同じような考えの人は、きっと世の中にたくさんいるのではないかと思います。

そういえば、アマプラやネトフリのサブスク料よりも高い固定価格の「受信料」と呼ばれる課金を全国民に請求している公共放送団体みたいなのが渋谷にあったな、と思い浮かぶわけですが、考えてみれば広告スポンサーなどのしがらみが一切ないはずですので、最も公正性が担保されていてもおかしくないメディアなのに、悲しいことに自分としては、この公共放送団体に対し1ミリも期待を寄せていないことに改めて気づきました。

結局のところ、一定水準の情報リテラシーを備えるべき、という点で、老若男女、誰も手を抜けない社会になってしまった、ということなのかもしれません。

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