地方移住したFIRE生活

人生は「引き算」

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9〜13分

リード

身の回りの国内産の製品と海外産の製品を比べてみると、個人的な印象としては、海外製品の方が総じてデザインや機能がシンプルで、マニュアルを読まなくても直観的な操作を可能にすることを意識して開発された製品が多いような気がします。つまり、一般に海外のメーカーの方が、商品開発において「引き算の演出」を成功させるのがうまいように感じます。やはり真っ先に浮かぶのがAppleの製品で、iPhoneのホームボタンの廃止やMacBookのキーボード上のファンクションキーの削減などの「引き算」を通じて、使いやすさとデザイン性をうまく両立させているように思います。対称的に日本製の製品は、往々にして、やたら分厚い取扱説明書に、いつ使うかわからんような機能がたくさん記されていて、且つ取説に頼らないと直感的操作だけでは到底使いこなせないような代物が少なくない印象です。たぶん商品開発のコンセプトが、「足し算」的発想に強く支配されているのかもしれません。あるいは、「それ要らないから」とバッサリ切り捨てる判断力のある力強いリーダーが不在なのかもしれません。

思えば人間は生まれてから一定の年齢までは、もっぱら「足し算」をメインにした人生をおくると思います。モノやカネや人脈をとにかくより多く手に入れるために努力をそそぎます。1年生になったら友達100人作ることを目標に掲げ、自分用のゲームやスマホを欲しがり、できるだけ年収や条件の良い仕事につくために必要な学歴や資格を手に入れようとがんばったりします。あるいはSNSのフォロワー数を増やしていくことで満足したりします。

こういった「足し算」を通じてモノ・カネ・人脈を増やす行為が究極的に目指しているものは何かというと、結局、人生における選択肢を増やす、ということなのかもしれません。

自分の人生は多くの可能性を秘めているから、自分が幸せになる確率を高めるために、できるだけ選択可能な人生のルートを多く確保しておきたい、ということなのかなと思います。

ただ、人生の時間は有限ですし、いくら選択肢をたくさん増やしてもすべてを選ぶことはできないので、選択肢を増やすこと自体が最終的なゴールになることはなくて、やはり最後はどれを選択するかを決断することが必要になります。例えばAとBがあって、どちらか一方を選ぶ場合、Aを選べば、すなわちそれはBを「選ばない」という消極的決断とセットになるわけで、つまりは、何かを選択する、ということは常にその裏側には、選択しなかったものと決別する「引き算」を織り込んでいるものだと言えます。

引き算という言葉には、なんとなくネガティブで後ろ向きな響きが否めませんが、「引き算」的なアプローチとは、不要な要素を取り除いて本質を際立たせることだと言えます。あるいは物事の優先順位を決めて、優先順位の高いものへの選択と集中を行うという言い方もできます。そうすることによって一層高い価値を実現したり、あるいは芸術性を高めたりすることが期待できます。

「戦略」なんかにしても、要は手持ちの限られた資源や時間をどのように配分するかがベストかを決めるのが戦略なわけですから、そこでは、「何をやるか」よりも「何をやらないか」を決めることの方がより重要だったりするので、まさに戦略の本質は「引き算」だともいえます。

一方、芸術の世界に関しても、例えば、日本の茶道や禅の庭園などでは、「引き算」の美学が重視されているといえます。枯山水の庭園が石と砂のみで風景が表現されているような感じです。

引き算の美学の決定版としては、アメリカの音楽家ジョン・ケージが1952年に作曲した『4分33秒』という楽曲があって、自分は実際これを聴いたことはありませんが、聴くまでのこともなくて、この楽曲は、演奏者が一つの音も発せずに、4分33秒間の「静寂」を提供するというもので、これによって、聴衆は周囲の環境音や自分自身の心の音に意識を向けることになるため、音楽とは何かについて根源的な問いを投げかける、そんな狙いの作品なんだそうです。ここまで極端に引き算をされると、違う意味で「引いて」しまいますが、いずれにしろ、シンプルさと本質を強調するための引き算は、うまくいくと芸術的価値や経済的効果を高める強力な手段となります。

自分としても、これから先、人生の後半戦に向けては、足し算よりも引き算のうまい人間を目指したいなと思っています。東京を離れて地方移住したことも、FIREを実行して会社組織から離れたことも、自分の中では一種の引き算だと思っています。

で、引き算で色んなものをそぎ落としていった先に最後に残る人生の本質とは一体何なのか、と問われると、自分にははっきりとした答えがないのが正直なところなので、玉ねぎの皮をむいていくように、引き算の末に最後は何も残らない、という絶望的な答えが待っているだけかもしれませんが、とりあえずは足し算ばかりを追いかけていた人生から引き算メインにシフトしたライフスタイルを、しばらくはここ糸島の生活の中で模索してみようかなと思っています。

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