東京暮らしをしている知人と久しぶりに連絡をとったところ、その知人いわく、会社勤めにはアレやコレやと嫌気がさしてきたので、早いとこリタイアしたいけど いかんせん金がない、などと嘆息をついているのですが、話をさらに聞いてみると、彼は現在、都内で家賃に月数十万円、駐車場に数万円払っており、どうやら今後もその生活をつづけることを大前提にしている、ということが分かったので、東京を離れて地方に移り住んでみる、というのも、実際自分がやってみたら悪くなかったので、ひとつ選択肢に入れて考えみてはどうか、とアドバイスしてみました。
自分も金に余裕があったわけではないのですが、住居費の安い地方に移住したことで、なんとかリーン(LEAN)ながらもFIREを実現することができました。
このリーンFIRE実現のための生活費切り詰め策の一環として、リロケーション、つまり、住居費用のより安い場所に移り住むやり方を「リロケFIRE」と勝手に名付けて流行らせたいと思っているのですが、少なくとも自分に関する限り、リロケFIREはそこそこ有効な手立てだったと思っています。
実際、東京から糸島に移住したことで、住居1坪あたりにかかるコストを計算してみると、ざっくり6分の1まで圧縮することができました。
ただし経済的効果とは関係なく、「リロケFIRE」が全く刺さらない人は相当数いると思います。なぜなら、今住んでいる場所に対し、愛着や思い入れ、つまり、感情的アタッチメントを強く抱いて生きている人は世の中に少なくないからです。
自分が住む慣れ親しんだ場所、つまり、郷土あるいは地元に対する感情的アタッチメントの持ち様によって、人間はざっくり3種類に分けられるのではないか、と個人的には考えています。
まずタイプAは、地元を愛する人。
次にタイプBは、逆に地元を憎んだり疎ましく思う人。
そして3つ目のタイプCは、住む場所への執着や関心が薄い人。
と、いうのが自分の考えるタイプ分けでして、大方の人はこれら3つのタイプのいずれかに当てはまるのではないかと考えます。
例えば、具体的に自分の親戚一同の顔を思い浮かべてみると、父方の親族ほぼ全員と母方の祖父母と叔母は、タイプA、つまり、地元に愛着をもってず~っとそこに住んでおり、一方、自分の母親は、若い頃地元が嫌で飛び出して以来、今も将来も戻る気はない、というタイプBの人間。そして、自分も含めてですが、特にどこに住むかについては深いこだわりをもたず、ライフステージや仕事の事情などに応じて、住む場所を何度も変えている人間も身内の中にたくさんおり、そのうちの何人かは現在海外に暮らしています。こういった輩はタイプCに該当する、ということになります。
こんな風に、たとえ同じ血のつながった親族の中においてすら、郷土愛を巡る分類メソッドによって、3つのタイプに分化することが確認できます。
何故郷土愛を巡ってこのように異なるタイプに分かれるのか、その要因を考えてみると
- 生物学的要因
- 心理学的要因、そして
- 社会的・文化的要因
の3つの視点からの考察が可能かと思います。
まず一つ目の生物学的要因ですが、われわれ人間、つまりホモサピエンスは、今から約30万年前に地上に生まれたといわれており、その歴史の大部分は、狩猟採集を生業とする移動生活によるもので、農業をきっかけに定住がはじまったのは、1万2千年前といわれています。
ちなみにオーストラリアの先住民アボリジニは、つい最近まで狩猟採集生活を貫いた人たちで、それがゆえにアボリジニは、ピラミッドやアンコールワットのような建造物の遺跡文化をもっていません。そんな彼らですが、人間の歴史全体に照らしてみると、我々の祖先は「住所」という概念をもたず、アボリジニ的な移動生活で過ごした期間の方が圧倒的に長く、仮に人間の歴史30万年を1週間の長さに置き換えるとすると、定住生活が主流になったのは、そのうちのわずか7時間程度で、それ以外の6日と17時間は、アボリジニ的な移動生活に費やしたということになります。
生物学的観点から見ると、現代人の中には、今でも過去の移動中心の生活の名残りが遺伝子に深く刻まれている人もいれば、農耕文化の発展にすんなり適応した気質を受け継ぐ人もいる、ということなのかもしれません。
ただ、遺伝子の近い血縁者の中でも、バラバラのタイプに分かれる具合ですから、おそらく生物学的要因の影響は「有る」には有るにしても、そこそこ限定的なのかもしれません。
一方、心理学的要因で説明しようとすると、タイプAの郷土愛の強い人間は、幼少期の経験や家族の影響が強く、故郷での肯定的な記憶が多い場合に多く見られると思います。また安定志向が強い人や 伝統を重視する性格の人も、タイプAに当てはまりやすいかと思われます。
それとは反対に、郷土に対し恨みや憎しみなど負の感情を抱くタイプBは、幼少期にいじめや不当な差別、あるいは、伝統的価値観による抑圧など、地元でネガティブなストレス体験を重ねたことが、原因になっていると思われます。
ただ、愛情と憎しみは表裏一体の関係にあるわけで、愛情の対義語、それは憎しみではなく、無関心、だといいますから、タイプBはタイプAと同様に、故郷への関心そのものは高いと言えるかと思います。
それと対照的なのがタイプCで、まぁ生きてく上において色々気になることはあるけど、こと住む場所に関しては、特段これといった感情も思い入れも湧かない、つまり関心が薄い、といった心理状態の持ち主、これがタイプCに当ると言えます。
最後に社会的・文化的要因の観点から見てみると、コミュニティーの文化が強い社会で育った場合や地域の伝統行事や文化的な特色があり、それを誇らしく思ったり、好感を抱いている場合、強い郷土意識を持つタイプAが育ちやすくなると考えられますし、逆に、地域の衰退が顕著で、他の地域と比較して格差があまりにも歴然とした環境だと、「ここに生まれたくなかった」という負の感情が生じてしまうかもしれません。
他方、居住地に執着しない人間は、グローバル化が進む現代において増えつつあると思われ、情報・物流ネットワークの拡充や、国際的な移動の自由度が高まる中で、「どこに住むかはさほど重要ではない」という価値観がますます世の中に広がっていくように思います。
また 成長期において 親の転勤で引越し・転校を経験をしたり、あるいは就職後、人事ローテーションで転勤が常態化している仕事に就いたりすると、「住めば都」 の精神で、住環境の変化への適合力を高める努力を重ねていくうちに、住む場所に関する執着や関心も自然と薄れていくものと考えられます。
かくいう自分自身も、幼少期、父親の仕事の都合で転校した経験がありますし、自分自身の仕事においても、海外を含めてこれまで何度も勤務地が変わったこともあり、また単に気分転換の目的で引越したこともあったので、試しに数えてみたところ、これまでの自分の人生での引越回数はトータル24回、そのうち都道府県を跨ぐ引越が12回、国境を越えた引越は6回、でした。こうした人生をおくったことの結果として自分は、地元愛や郷土愛といった熱を帯びた感情とは、いささか疎遠な人間になったように思われ、メンタル的にはほぼアボリジニに近いかと思います。
要は 自分にとって「ふるさと」は、
どこでもないし
どこにもない
と言えます。
いずれにしろ、先ほどから述べている3つのタイプ分けは、血液型性格診断や星座占いのような類とは違って、人生においてそれなりにガチの影響を及ぼすのではないかと思われまして、例えばですが、結婚相手を選ぶ上において、居住地をめぐるスタンスに関して、お互いのタイプが違ったりすると、それがわりと深刻な諍いの種になる可能性があります。
たとえば夫に転勤の辞令が出て、夫としては単身赴任なんか絶対したくないけど、妻がどうしても今住んでいる土地を離れたがらない、とか、あるいは伝統的価値観の強いムラ社会から脱け出したいと望む妻に対し、夫は慣れ親しんだ実家にずっととどまる考えを頑として変えない、とか、こういった容易に妥協点の見いだせない夫婦間の対立が起こることは、決して珍しいことではないと思います。
また 個人の生活レベルにとどまらず、都市経営のレベルにおいても、このタイプ分けに関して、深く考えさせられる場面は起こりえると思います。
人口減少と少子高齢化が進む日本においては、もはや居住エリアを国土の隅々まで拡散させた状態を維持することは、財政的な観点や 生活利便性の維持の観点などから考えても、持続可能とは到底いえない、と思います。
これからの時代、国家安全保障上の一部の例外措置を除いて、ある程度 居住エリアや都市機能を集約し、人口密度を高めることが基本的に必要になってくると思います。
東京一極集中という極端な現象は、それはそれで別途解決しなければならない問題として横置きするとして、日本全国各地の拠点となる中核都市を中心に、人が住む場所をギュッと寄せ集めることによって、道路・水道・電気・ガスなどのインフラ維持にかかる負担は軽減し、公共交通機関の運営が効率化して利便性も高まり、環境負荷も抑えらえれ、行政運営にかかる固定費負担も縮小し、病院・介護施設・商業施設・教育機関などの都市機能が近場に集約することで、高齢者から子育て世代まで多世代で構成されるコミュニティが形成され、孤立を防ぐ効果なども期待できます。
これがいわゆる「コンパクトシティ」と呼ばれている都市づくりが目指しているものですが、コンパクトシティ化を進めることの障壁となっている要素は多々ありまして、技術的な課題もさることながら、人間の「心」に関わる問題で、大きな障壁となる要素は、郊外に広がる人口密度の低い地域において、住み慣れた家や集落を離れることに抵抗を感じる住民との合意形成の難しさ、つまり タイプAの人たちの心情的反発の問題です。
バリバリのタイプC人間である自分からすると、特定の地域に執着する心情に対して、共感することは正直言って難しいのですが、ときに郷土愛が人間性の一部を形成するのだ、ということは、理解し尊重したいと個人的には思っています。
コンパクトシティ化を進めることは、ある人々にとっては、「ふるさとの解体」を意味するものだと思います。郷土に強い感情的アタッチメントを持つ人々にとって、コンパクトシティ化は、住み慣れた土地の放棄を強いるものであり、心に深い喪失感をもたらすことになります。このような喪失感を抱えた人々は「ふるさと難民」と呼ぶことができるかもしれません。
大量の「ふるさと難民」を生み出す可能性のあるコンパクトシティ化を巡る議論は、おそらくこの先の日本における最重要且つ最難関の問題の一つだと思います。
これについては、社会全体をあげて最適解を探っていくぐらいの、強い決意と気構えが必要なのではあるまいかと考える次第です。
ちなみに、数あるコンパクトシティ化の取組実例の中で、福岡市は、コンパクトシティの成功例として、目覚しい発展をとげていますが、福岡市の成功要素として、注目すべきポイントの一つとしては、人口密度の高さがあげられるかと思います。同じ地方中核都市の中でも、例えば札幌や仙台の人口密度と比べると、福岡の人口密度は約3倍にのぼります。これは偶々の結果ではなく、福岡市がかねてから、長期的展望に基づく都市整備計画において、周辺地域を市街化調整区域に指定するなどして、市域の拡大をコントロールしたことにより、一定の範囲内に人口集積をとどめ、コンパクトで利便性の高い街づくりを計画的に実現したからだといえます。
一度 都市開発が広い範囲で手をつけられると、あとからそれを縮小・集約化しようとしても、そのための大規模な再開発や区画整備が新たに必要となる他、住民移転のコンセンサス形成に苦労することになります。そのことを見越して「いったん風呂敷を広げてしまうとたたむのが難しい」という視点を取り入れて、福岡市の都市開発計画策定に関わった人たちは、大いに称賛されるべきかと思いますし、全国の学校の社会科の授業で取り上げてもいいぐらいじゃないかと思います。
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