比較的最近自分が読んだ本の中で、最も影響を受けたと思える本は、アメリカ人のビル・パーキンスの著書『Die With Zero』です。
大ベストセラーとして広く知られていますが、一応中身をごくごく簡単に要約すると、人生を豊かにするためには、お金を稼ぐだけでなく、それをいつ、どう使うかが重要で、お金の価値を最大限に活用するには、死ぬまで全部使い切ることに尽きる、と、本の中で述べられています。
自分にとって、この本の内容は、新たな発見に満ちている、というよりも、日頃モヤモヤと感じていたことをうまく言語化してくれた、と思えるもので、本の著者が、ヘッジファンドのマネージャーで超がつくほど金持ちである点は、何となく鼻白んでしまわなくもないですが、言ってることは結構まともかな、と正直思います。
ところで、その昔、自分がまだ新卒の社会人1年目のとき、少ない手取りと奨学金の返済でヒーヒーいってた頃の話なのですが、当時、同じ会社の先輩で、すごく派手な生活をしている人がいて、その人は世田谷の等々力に住んでいたので、ここでは仮に「トドロキ先輩」と呼ぶことにしますが、そのトドロキ先輩というのは、びっくりするほど金遣いが豪快で、高級外車を乗り回し、ブランドもののスーツを着て、モデルのような美人とミシュラン星付きレストランでデートして、といった生活ぶりで、聞くところによるとそれなりの借金を抱えているらしく、そんな彼のことを大した人物だと評する人もいれば、ちょっと頭のおかしいバブリーな人と見る人もいて、自分はどちらかというと後者だったのですが、ある日、トドロキ先輩と飲む機会があり、無理して借金抱えてまで贅沢するのはどうかと思う、といった趣旨のことを自分が発言したところ、トドロキ先輩が一言、「若くて感受性の豊かな時に金をつかわなくてどうする、年寄りになって金持っててもしょうがないぞ」と言われてハッとしたことを思い出しました。
単純な自分は、そのトドロキ先輩の一言に感化されて、20代の頃は、「若いうちはやりたいこと何でもできるのさ by ヒデキ」的勢いで、トドロキ先輩ほど派手ではないにしろ、割と奔放な暮らし方に身をやつしておりました。さすがに30代になってからは生活態度を改めましたが、今にして思い返すと、やんちゃな20代の頃の記憶は、楽しい思い出になっています。
『Die With Zero』で述べられていることのエッセンスは、まさにトドロキ先輩が自分に伝えたメッセージにほぼ凝縮されていると言えます。『Die With Zero』というタイトルは、字面だけですと、ゼロで死ね、という意味の何かパワーワードっぽい響きになりますが、別にコツコツ貯蓄することや、老後2000万円問題とかを小バカにするような意図は本当のところ全くなくて、「手持ちのお金は最期はゼロになっても構わない、というぐらいの心持ちで全然問題ないんで、お金以外にもっと大切にすべきことにも目を向けてライフスタイルを組み立ててはどうか」、という至極真っ当なことを提案しているのだと思います。
以下は自己流で読み取った『Die With Zero』の要点、いわゆるTakeawayです。
まず人間はLife Energy、つまり生命エネルギーというものを持っていて、人はこのLife Energyを日々ひねくり出しながら自分の人生を充実させようとしている生き物だ、というのが大前提になります。
で、このLife Energyには残念ながら限りがあるので、人が幸福を追求する上においては、貴重なLife Energyの使い方をいかに最適化するか、が、ズバリこの本の主題になります。Life Energyをダイレクトに価値に変えることもあれば、中間ステップとして、労働を通じてLife Energyをいったんお金という形に変換して、将来必要なときに価値を引き出す、という方法も最適化の方策の一部に含まれることになります。
ただし、お金というものは、それ自体が人生の目的ではなく、あくまでLife Energyを価値化する上での中間ステップに生まれた媒介物に過ぎないので、もしお金を使い切る前に一生を終えると、お金を獲得するために費やした貴重なLife Energyを無駄にしてしまうことになるから、それはちょっともったいないだろ、という主張に繋がります。
この本が力説するポイントとして、Life Energyの使い道として最優先すべきは、Experience、つまり経験の獲得、だとしています。そして経験は思い出(Memories)となり、その後の生涯を通じた財産になり得ます。思い出は、時間の経過と共に減ることもなく、維持費もかからず、いつどこにいても取り出すことができて、誰からも奪われることはありません。なんなら「思い出補正」が加わってドンドン美化されることもあります。従って、自分にとって幸福な経験と思い出を増やすためにお金を使うことこそが、まさに人生における「正解」だという結論になります。そして、できるだけ長い期間にわたって思い出を楽しみたいのなら、経験のタイミングはなるべく早い方が良い、ということになります。
一方、注意すべき点として、人間は歳をとればとるほど、経験を楽しむ能力も、お金から楽しみを引き出す能力も低下する、ということがあげられます。年をとれば体の調子は悪くなり、体力も衰え、出かけるのが億劫になり、物事への興味ややる気も薄れていき、できる活動もだんだん限られてくるからです。
ですので、お金を貯めるにしても、年齢に比例して右肩上がりに預金残高を増やしていくイメージだと死ぬ直前のヨボヨボの時が残高ピークになってしまいます。実際このようなケースが世の中の圧倒的多数になっているらしいですが、そうではなくて、純資産残高が人生のもっと早い段階でピークをむかえるように預金残高の推移を山なりの放物線状の形にもっていくのが望ましいといえます。要は、経験を楽しめる能力値が高い年代のうちに、資産残高の「山」をうまくもってくるようにする、ということになります。体力も感性も衰えた老人時代に「山」がきてもしょうがいないからです。
この点は、人は何歳まで働くべきか、というテーマを考える上においても、大きな判断材料になります。本の中で紹介されている話として、オーストラリアのブロニー・ウェアという人が、緩和ケアの末期患者に対して人生で後悔していることは何か、という問いを長年にわたって聞取り調査したところ、男性患者の場合1番多かったのは「働きすぎなかったらよかった」という後悔だったそうです。
たぶん、その後悔の裏側にある真実としては、仕事を通じて得られる経験や思い出は、さほど心を豊かにしてくれない、ということかもしれません。
大抵、過去の記憶には「思い出補正」が働いて、つらかったりしんどかった出来事も、しばらくたって思い返すと良い思い出に勝手にトランスフォームされていることが多々あります。自分の場合も、若い頃酔いつぶれて原宿の明治通りでぶっ倒れていたところ通りがかりの人に救急車を呼んでもらって急性アル中で入院したことや、人里離れた山奥の峠道でバイクが故障して日没後真っ暗な中で何時間もレッカー車の到着を待ったことなど、当時は大変な思いをしましたが、今では思い出補正が作用してすっかり愉快なエピソードとして記憶に刻まれています。ところが、自分は仕事を辞めてしばらくたちますが、こと仕事に関する記憶については、思い出補正の効きが弱い印象です。世の中には仕事が楽しくてしかたないという人もいるでしょうが、自分の場合、仕事にまつわる記憶は、当時ワチャワチャと大騒ぎしていた割には、後から思い返すとわりとどうでもいいと感じられるものばかりです。また、人間関係にしても、仕事上の人づきあいというのは、仕事を辞めるやサーっと潮が引くように自分の人生から消え去っていくことが、実体験としてわかりました。やはり、人生を豊かにするものは、大切な人と過ごす時間だったり、興味のある場所を旅行したり、趣味に打ち込んだり、そんな経験を積み重ねることなのかなと改めて思います。あくまで仕事は、Life Energyをお金にコンバートする手段だと割り切って考えるのが正しいような気がします。
将来自分が老人になったとき、当然お金がなかったら困りますが、それ以上におそろしいことは、これといった楽しい思い出を持ち合わせないまま老人になってしまうことかな、と思っています。仕事に明け暮れて、気づいたら老人になっていた、という状況は、ブローニー・ウェアの調査が示す通り、人生の終わりに後悔しかもたらさないように思います。とはいえ、実際に会社勤めを辞めてFIRE生活に入った自分としては、時おり自分が判断を早まってしまったのではないか、と不安になることもあります。ですが、最後の最期は、ゼロであの世に逝けばいいんだ、と割り切れば、地方に移住したことで何とかやりくりして生きていける目算がたつ以上、まぁ悪い決断ではなかったのかな、と思うようにしています。少なくともトドロキ先輩がもし近くにいれば、どちらかというと肯定的な評価をしてくれるんじゃないかなと思っています。
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